実は僕、小学生で野球部に入ったときキャッチャーだったんですよ。
ニューヨークヤンキースの田中将大投手も少年の頃はキャッチャーでした。
キャッチャーってみんなやりたくないんですね。
お面かぶって防具付けて顔は見えないし、ボール当ったら痛いし、防具重たいし…
まあいろいろやりたくない理由があるんですよ。
でも僕は、試合に出れるならどこでもいいと思ったんです。それで立候補しました。
しかーし、前にも書いたことありますけど、キャッチャーって肩強くないとだめですし、ランナーが盗塁したらセカンドに送球するコントロールも大事なんですね。
それで、僕の投げ方が悪いと投げ方を直すまで使わないと戦力外になったわけです。
マー君の場合は方が強かったからキャッチャーになったと思います。ピッチャーは巨人の坂本君ですけどね。
ちなみに、僕の三男もリトルリーグと少年野球とシニアリーグとキャッチャーが主でピッチャーは時々でしたね。
ただ、キャッチャーという役割は重要なわけですよ。誰でもいいって訳にはいかないんです。
昨日も書きましたが、ゲームは確かにピッチャーが投げないと始まらないのは事実です。
でも、キャッチャーが捕ってくれないと投げられないわけですよ。
そして、キャッチャーはただ一人みんなと反対の方向を向いています。扇形の支点となるホームで全体を見渡しているんです。
なので、状況判断もいち早く出来ますし、扇の要と言われます。それくらい重要なんです。
キャッチャーをやると、バッターの癖がわかってきます。考え方もわかってきます。
例えば、バッターボックスの立つ場所でインコースが好きか嫌いかなど、どんな球種を狙ってるか等、バッターの様子でいろいろな事を読み取れるようになります。
なので、キャッチャーの経験が後にピッチャーになったとき非常に役立つと思います。
キャッチャーで有名なのは南海、ヤクルト、阪神、楽天などで監督をされた現野球解説者の野村克也氏です。
野村さんは京都の高校からプロ野球入りし、当時花形スターだった巨人、長嶋・王にライバル心を持ち、ID野球と呼ばれるほどの頭脳的な野球スタイルで活躍されました。
その後継者と言われたのが現野球解説者、スポーツキャスターの古田敦也氏。
古田さんは兵庫の高校を出て立命館大学へ進学、社会人野球のトヨタ自動車から当時野村さんが監督を務められていたヤクルトスワローズへ入団し、野村イズムを教え込まれた球界を代表するキャッチャーへ成長されました。
ピッチャーが投げなければ試合は始まりませんが、そのピッチャーを手なずけコントロールするのがキャッチャーであり、ピッチャーとキャッチャーこの組み合わせがいないと試合が始まらないんです。
いつしかこの組み合わせをバッテリーと呼ぶようになりました。バッテリーとは車のバッテリーのように+-で一組、一対という意味があり、ピッチャーとキャッチャーで一組、一対であることからバッテリーと呼ばれるようになったようです。
日本ではキャッチャーの事を女房役とかいいますね。夫婦も一対という意味で掛けてるのかもしれませんね(笑)
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