僕も憧れた一人だ。
その憧れに向かって日々練習に明け暮れた。
甲子園に、何故野球少年は憧れるのだろうか?
甲子園には何にも代えがたいキラキラしたドラマがある。
自分が甲子園に憧れた理由は、その道の先にプロ野球という夢のステージが待っているからだった。
物心ついた時からプロ野球選手に憧れ、プロ野球選手になることを夢見て練習してきた。
甲子園で活躍すれば、プロ野球のスカウトの目に留まる。
田舎にいて活躍したところで誰も見ていない。中央の陽の当たるところで活躍してどうにかプロ野球選手への扉を開きたいと思っていた。
中学校に進学し野球部に入部するが、1年生からレギュラーになれる訳もなく、ひたすら外野のフェンスの後ろで球拾いをしていた。
そんな僕に転機が訪れたのは2年生の春、前に書いたが【ノーコンすぎて1アウトもとれず交代させられる事件】
これをきっかけに本格的なピッチャーの練習に取り組んだ。
その結果、見事に3年の全国大会で優勝。
開催場所は横浜スタジアム。決勝はNHKで全国放送された。
憧れの甲子園への思いは一段と強くなっていく。
僕は市内の高校から誘いが来るのかと心待ちにしていたが、チームメイトには話が来ても、僕の所には一切来なかった。
そんな時、僕が1年生の時のキャプテンから電話がかかってくる。
「お前、行くとこ決まったのか?もし決まってないなら俺のとこの高校来いよ。ピッチャーがいないからお前が来たらすぐ投げられるぞ」
この先輩からの誘いで、県内一の進学校に僕は野球をしに行くことを決意する。
その当時、僕の学業の成績はというと、学年の人数が350人その中で200番代後半、下から数えた方が早いという始末。
それでも、すぐに投げられる=甲子園っていう希望があったので、必死に勉強をし受験を迎える頃には上から30番くらいまで成績を伸ばした。
結果、見事に合格を果たし、夏の甲子園予選県大会決勝を高校1年生で先発、完封し甲子園切符を掴み取った。
そして甲子園出場は果たしたものの、肝心の甲子園大会では自分の思う通りのピッチングが出来ず、2回戦で敗退してしまう。
プロ野球の夢の扉を開くための甲子園大会で、実力を思う存分発揮できなかった。
平常心ではなかったことに加え、自分の驕りであったり、プレッシャーであったり、いろいろな要素が精神的にピッチングを狂わせたのだと思う。
そんな苦い経験もあり、子供たちには小さい頃から野球の練習はもちろんだが、勉強の大切さも教えてきたつもりだ。
何故、勉強をしなければいけないか?それは自分が選ぶときの選択肢を拡げられることに他ならない。
選択肢を拡げる事で自分のしたい野球が出来る環境を自分で選ぶことが出来るからだ。
全ては夢の為に。
僕は自分が現役でやっていた頃は、甲子園は出てプレーして意味のあるものだと思っていた。
子供が出来てから、子供たちと一緒に甲子園目指し夢を追いかけていくうちに、息子も甲子園に出場する事ができ、アルプススタンドで応援する機会を得た。
そこで感じたこと。
『こんなに感動する場所ってあるんだー』って思った。
それ以来毎年、欠かさず熱闘甲子園は録画をして見ている。
小さい頃に思い描く夢、プロ野球選手になりたい。
是非親子でその夢を追いかけてみて欲しい。
その夢の途中にはいろいろなドラマがあり、何にも代えがたい感動がある。
スタンドから応援する光景もとても素敵だと思う。
きっと、パパママの頑張りがそこで報われるのだと思う。
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