「球ひろいだった少年の物語」第1話を
公開しましたところ、結構な反響を
頂きました。
頂いたコメントはこのような感じです。
「太田さんも少年の頃は苦労されたん
ですね。幼いころからセンスがあって
活躍されているのかと思っていたので
意外でした(^^)」
「お父さんのアドバイスがあって
よかったですね(o^^o)」
「うちの息子も少年野球やっていますが
やはり投げ方がかっこ悪くて
良くなってほしいと思っています♪」
「太田さんも頑張りましたけど、お父さん
ファインプレーじゃないですか?」
「投げ方は直ってよかったですけど
ケガをしたのは痛かったですね(TT)」
色々な方向性のコメントありましたが
僕のようなお子さんをお持ちの方は
結構いらっしゃるんですね。
そんな印象でした。
さて、本日は「球拾いだった少年」の物語
第2話です。
第1話はこちらから
投げ方を直せたことで僕はピッチャーに
なれました。
一番喜んでくれたのは父でした。
今まではグランドに見に来たことなんか
まったくなかったのに
時間を作ってまで見に来てくれるように
なりました。
見に来てくれると
「あっ、今日も来てくれてる
頑張んなきゃ」って気合入りますね(^^)
6年生の時にはエースになれましたけど
そこそこでした。
大会で優勝することなんかなく
全県一のチームがとなりの学校
でしたから・・・
僕は一応エースという看板を背負って
中学校の野球部に入部します。
そこで待っていたのは・・・
【球ひろい】
またかーーーーーー
進学した中学は全県一の小学校からも
進学してきたので。
それはそうなるかー
思っていた通り全県一のメンバーから
バッテリーは
1年生からベンチ入り。
「でも絶対追い越してやるからな」
という強い気持ちで
【球ひろい】
をやりました。

ファウルボールが田んぼに入れば
スパイク脱いで、ソックス脱いで
田んぼのなかのボールをとりに
ジャブジャブと・・・
3年生が引退してからの新チームで
やっと練習に参加して
はじめは外野につかされましたが
守備が下手くそでファーストへ。
秋の新チームの大会が終わるころ
ファーストとピッチャーの兼用に。
春になり2年生で迎えた最初の大会。
僕は先発を任されます。
ここで大事件勃発―――――
なんと!太田、1アウトもとれず
3点取られ交代する。
いやーショックでした。
まったくボールがいうことを
きいてくれないんです。
その当時の心境と
その後の学校での出来事を
書き留めようと思いましたが
上手く伝わらないので
音声にしました。
こちらからお聞きください。
というわけで
試練がはじまりました。
4ヶ月間の自分との戦いです。
この戦いのあと太田少年に訪れたものは
何だったのか
第3話へつづく…
第1話はこちら
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